境界線は結局どこにあったの?

星の数ほど~(旧宇宙と自然界☆)の管理人グリ―ンリーです。

本日もいい天気でした。お洗濯日和でしたね^^。

今日も我が家ではいろいろなエネルギーの交差があります。

どこのご家庭でも何かしらが展開されていると思いますが、

家もかなりいろいろとあるのです。だから考えて学ぶの

だとは思いますが。

さて最近、いろんなことに気付きはじめていますが、

最近の降りてきたメッセージ、感動した言葉です。

「井の中の蛙、だけど井の外の世間がある」です。

井の中にいるとわからない蛙も、井の外に出たら世間は

広がっていることを改めて教わっています。

いままでは、井の中の蛙というと家の中を井にたとえたり、

たとえば世間でも地域の中を井にたとえて言われていました。

「ほら、皆みてるよ」とか「皆に言われないようにしなさい」

など。でもみんなって誰だったんだろう?って改めて思います。

今は宇宙思考でいくといいらしく、井の中の蛙も、そのまた

更に周りを見たら世間も広がっているし、宇宙が広がっている

ことを知らされます。無限に広がっているという。それは

「視野を狭めないで広く持つこと」という解釈もできる。

または

「その中でしか見えないと、お山の大将でしか見れない」

ともなります。

それをもとにして、家の中で何かがあっても、世間では

見えないからこそ家の中で解決する必要がある物もある。

それに自分しか見えないと、まわりが見えなくなっちゃうよ。

地域では大きい存在でも、また大きな海原では小さな存在の

お山の大将的な存在でもある訳で、またそれはそれで

まだ宇宙っていう大きな無限大の世界もあることを知らされる

ということです。だから大きな視野を持ちなさい、なので

しょうか。

なので、家より地域での世界もある。(もっと広い世界もある)

さらに地域で何かあっても視野を広げれば、もっと大きな

宇宙がある。(さらにもっと無限大な世界もある)ということ

が見えるはず。

1つだけに、そこだけに目を向けずに、もっと大きな目で

見ることを促されているんですが、なかなか変わらないもの

ですね。人間って。

特に家族というものは、皆が皆受け入れてくれるわけでは

ないもんです。

これもいろんなものの発想ができると思います。

自分にも、他の方にもあらゆる場面でも使えます。

そしてどの方にも応用のできる考えだなって思います。

そこでこのテーマが活きてくるわけですが、延長で、

境界線は家の中にはあるようであってないですし、

地域の中でも境界線があるようでないところも多い。

宇宙はもちろん無限大で境界線はないような気もしますが、

一番の大きな絵が見える分、詳細に見えてきたり、視野も

広がる分、逆にゆったりと構えて考えるスペースが広がる

ような気がします。

なぜこんなことを言うのかというと?

「家では○○だよ」という人と

「世間では○○だよ」という人と

「宇宙から見たらこんな小さいのに?」と

いう会話が続いているからなんです。家でも近くの地域でも。

話はいろんな解釈ができるのですが、やはり一戸の家で

繰り広げられる世界は小さいようですが、同時に得るもの

も大きいですよね。

「家庭は小さな社会」といわれるけれど

いつも言われることはそこだけにしか、その井の中の蛙

状態でしかものが見れなくなってしまうと境界線も

なくなってしまう。こうだああだと縛ればそこしか

見れなくなってしまうもの、だからこそ視野を大きく

持ちなさいと言われているという、ちょっと前置きが長く

なりました。

家庭でも地域でもどこでも話し合いって本当に大切だと

思います。自分たちの世界でしか見れなくなりますから、

話しあうことって大切です。

特に言葉のたりない家庭や地域になると、確かにこうなって

しまう事も多いなと思います。偏見だけでものを見てしまう

とか、うわさだけで決めつけてしまったりします。

「何で真実を確かめないで、決めつけてしまうんだろう」

「偏見で嫌ってしまったり、これはこういう人だと決め

つけて真実を知ろうとはしないんだろう?」それも

人の話になると知りたがるのに。と毎日感じています。

誰を味方につけるか?とか、誰ならわかってくれるとか。

守ってもらうことばかりに意識が向いてしまっていると、

頭ばかりが働いて、心がおろそかになってしまっています。

それが何だかもったいない気がします。

本当のことを知らないと、こだわってしまうときには

何だかそれが可能性を自ら潰してしまっているような気も

しますね。

それを当たり前に生きてしまってきた、今まで気づかなかった

事、今更ながら何でそうだったんだろうなとは思います。

いま、そうして気づいてきています。

頭は使ってきても、心に響いていかなかったという感じ

です。心を使うってやはり話さないと伝わらないこと

と思います。気遣いも話さないと、真実は伝わらない

ことも多くあります。

小さな家の中はいつも人それぞれの意見があり、考えたり

考えずに感情だけで動いてしまったり、守ったり、逆に

せめあったり、そうして大きくなるのですがまたそれも

エネルギーは最大限に使いあいます。もっと素直になれたら

もっと楽なのに、何でこだわり、意固地になるんだか。と

思いますが、皆様のご家庭ではどうでしょうか?

エネルギーが飛び交う家の中は一番、基本的な最低限の

ルールが必要だと思いますが。なかなかそうもいってられず。

そんなこんなでうちの中はいつも学びだらけの毎日です。

もちろん学びたくない人もいれば、受け入れたくない人も

もちろんいます。すぐに学ぶ人もいますし、すでに知って

いる人もいます。それはそれで自分のペースもあるし、

仕方がないのかなって思います。

最低限の境界線は意識の中とか、言葉で言って区切りなど

を持たないと、どこが境界線かわからなくなります。

守りと攻めだけの関わり合いだけにはならないように

はしたいものですが、それもある意味理想論でしかない

のかもしれませんね。

でも闘いあうのが家庭とか世間などではなくて、もっと

歩み寄れる、話し合いの持てる、偏見のない、どんなこと

があっても解決をしていく方向で進んでいけたらいいのに。

それは理想的ですが、なかなか難しいものですね。特に

ご高齢の方が含まれたり、頑固な人が含まれていたり、

偏見が強かったり、恐れが多かったりすると衝突も

ありがちになります。不器用だとここから始めないと

いけないのかなあと思えたりします。

境がなくなっていたからこそ、話し合いがなくなっていた

からこそ意識的に変えていこう!という気持ちを持つ

ぐらいの気持ちが持てたことは、進歩なのかなと思います。

私はその気持ちでいても他の人が動かないと意味は

ないんですけどね。自由意志があり、コントロールは

できないかもしれない。けれど、そこで心はある程度

開いて、境界線をある程度持てて、平温の温度で話し

あえたら、こんなに遠回りをする事なんてないのに。

とかなり長いぐち?ボヤキになりました。

あーあ、これを朝からずっと考えていてこんなになって

しまいました。まだまだ、ボヤキが現実の問題解決に

なるのはいつの事でしょうか。

夜もまた小さな家庭での一幕が始まり、また明日へ

続きます。

では管理人でした。

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